テレビ(オールドメディア)の芸能人自殺報道
「昭和平成のワイドショー」は、熱愛、結婚、出産、不倫、離婚…様々な芸能人のゴシップ報道やスキャンダル報道は、生々しく直接本人や関係者へズカズカと土足で踏み込んでくる印象がありました。
何故なんだろう…
令和の時代(視点)から昭和平成の時代(視点)の芸能界の報道のあり方について思いを馳せてみると、日本国民全体に芸能界(人)そのものに興味関心があり、それ以前に娯楽の少なさ、それ故に多様的思考感覚も無く、他者との繋がり要因にテレビ(番組)や芸能界が深く関わっていたからではないでしょうか?
昨今、「テレビを見ない」という国民も増え、芸能界そのものにあまり興味関心も無くなり、いつの間にかテレビの「固定化された自由が利かない番組映像」から、インターネットで「好きな時間に、好きなだけ、好きな映像(だけ)を見る」という時代になりました。
とかいうわたしも、ここ数年…「しっかりテレビを見る」事も少なくなりました。
それだけ、テレビはもとより、芸能界そのものに関心が薄くなってきた…と言えるのかもしれません。(筆者の年のせい?主観の問題?)
ただ、関心が薄くなった分、その反動も大きく…芸能人が自殺すると「ワイドショー報道の異常ぶり、非人道ぶり」が際立って浮き彫りに…。
昭和平成の時代は、亡くなられた芸能人の自宅へ大勢の芸能リポーター達が押しかける事なんて当たり前。毎日のように生前の映像を流し、弔問に駆けつけた親交の深い芸能人や関係者、更には一般の方さえも捕まえては、大勢のリポーターとカメラマンが取り囲んで、根掘り葉掘り質問攻めにする場面を生々しく垂れ流していましたよね。
だが、令和になった今でも「そんな報道」をしてしまうテレビというオールドメディア。テレビに関わるすべての人達の「脳内アプデ」が一向に進まない現実。昭和平成のあの時代の報道のあり方を、そのまま令和に持ち越むなんて、思考停止も甚だしい…。
「テレビに取り残された人達」と云うべきなのだろうか?
4K、8K…と映像クオリティは格段に上がっているのに、それを使う人間の思考クオリティが上がっていかない…という皮肉。